縷紅草~ルコウグサ~

金曜日更新のおはなし

戦争の記録から僕たちはなにを学ぶべきか

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2021年8月9日、11時2分。僕は黙祷を捧げる。長崎に生まれてこの方、この日のこの時間、欠かさないように行ってきた習慣である。1分間の黙祷のさなか、僕はさまざまなことを考えた。いまから76年前の1945年8月9日、11時2分、長崎の町に原子爆弾が投下された。

 

良く晴れた暑い日だったらしい。いまと変わらずセミが鳴いていただろう。いまと変わらず夏らしい澄み切った空気の中で、山の裾野が照り返し輝いていただろう。田には蛙が鳴き、萌えいずる樹木の新芽がみずみずしくその肌を日にさらしていただろう。令和に生きる僕たちが思う通り、田舎の古めかしいノスタルジックな景色がそこにはあったのだと想像ができる。

 

そのすべてが一瞬にして奪われた。色彩が、匂いが、声が奪われた。朝、出勤したばかりの人々であふれた職場の活気も。朝、旦那を見送り、ひとり娘と少し遅めの朝食を取っていた夫人の微笑みも。朝、庭に出て遊んでいた少年や、その隣で草をむしる女性の流す汗も。すべてが一瞬にして灰と塵と影とになった。

 

僕はそれらを直接見たわけではない。白黒の写真・映像の記録や戦争経験者の方の話から知ったのである。長崎では毎年、この時期になると戦争の話を耳にする機会が増える。テレビでも特集されるし、学校では平和祈念のイベントが必ずと言っていいほど開催される。

 

ところが、戦争の記憶は薄れつつあるという。被爆者の高齢化が進む上に、若者のなかでは、8月6日、9日、15日がそれぞれ何の日であるかを知る人が少ないというのだ。僕にとってその話は、にわかには信じがたいことだった。なぜなら、僕は幼いころからこの日を恐れ、何かから隠れるようにこの日を過ごしてきたからである。戦争の記憶は、僕にトラウマとでも呼ぶべきショックを与えるのに充分なものであった。それは忘れたくても忘れられない記憶だったのだ。

 

僕自身の話を少しさせてほしい。小学1年生の夏、夏休みに入るすこし前のことだ。夏の空気に浮き立つような教室の中へ、担任の先生がいつになく慎重な面持ちで入ってきた。午後の授業だったと思う。生徒はみなその時間が、道徳の授業の時間だと思っていた。先生の手には1枚の写真があり、「いまから60年程まえの8月9日、ここ長崎に原子爆弾という一発の爆弾が落とされました。」というような前置きをして黒板にその写真を貼った。背中に大やけどを負った少年がうつぶせになっている写真だった。それをみた周りの友達は、しばらくの間黙っていたが、先生が「前に来て見ていいよ」というと、ざわざわと教卓に歩み寄っていった。僕は躊躇ったが、友達とはぐれないようにと、その後ろをついていった。僕はその写真になるだけ近づかないようにして床に座った。もちろんそれを直視することはできなかった。

 

先生は他にも数枚の写真を僕たち生徒に見せてくれた。見れない写真と見れる写真があったが、僕は怖がっていることを周りに悟られないようにふるまうので精一杯だった。

 

それまで僕の人生において、澄み切って大きく広がる海のような存在だった夏という時期は、それ以降その表情をまるで変えてしまった。どこに死が潜んでいるかわからなくて、恐ろしく底の見えない海のような存在として書き換えられてしまったのだった。僕はそれから「空に戦闘機が飛んできて爆弾を落としていくのではないか」という妄想にとらわれ、夏の空の下に出ていくことを避けるようになった。8月9日の平和記念集会を仮病で何度も休もうと試みたし、登校したとしても集会の途中で「気分が悪くなった」といい、保健室にこもって保健室の先生と黙祷をするのが毎年の恒例になっていた。

 

黙祷をする1分間、振り返ればたくさんのことを考えてきたものだ。さすがに大人になってからは、なにもない空に「きのこ雲」を想像して怯えたり、テレビでみる「原爆の記録」から逃げるようなことはしていない。小学校高学年になって、初めて「原爆資料館」を見学したときは、悲惨な様子を展示しているスペースを逃げるように通り過ぎて、後半にある文章がメインの展示を熱心に読んでいた。それからは写真や映像を避け、原爆を題材にした漫画や小説を積極的に読むようになった。原爆の後遺症について調べたこともあったし、そもそも「なぜ原爆は落とされたのか」ということに疑問を持ち、第二次世界大戦の歴史について調べたりもした。最近は原爆の詩を好んで読むようになった。トラウマは克服された。戦争の記憶にとらわれることはなくなった。戦争の悪夢にうなされることも、いまではほとんどない。

 

さて、本題である。「戦争の記録からなにを学ぶべきか?」という問題を、この夏に僕は考えた。

 

僕が呪いを解くようにして、戦争の記録を調べていくなかで感じたことが3つある。

 

1つめは、戦争はあまりに悲惨すぎるということ。

2つめは、人間は残酷であるということ。

3つめは、人間の残虐性は日常にも潜んでいるということ。

 

まず、1つめについて語ろうと思う。

 

戦争は子どもが学ぶには、しばしば悲惨の度合いが過ぎている。いわゆる「平和教育」が大切だと考えるのは理解できるが、教える側は子どもたちの目線から内容を吟味し、適切な伝え方を考えるべきだと思う。ただ悲惨さを強調するような表現が必ずしもすべての子どもたちに適切なのかどうか。映像や写真は現実を歪みなく伝えるという点で優れているかもしれないが、現実をただ伝えるという手法は表現者の怠慢ともなり得る。表現する対象と、それを受け取る者の性質と向き合い、伝達の手法を考えることは必要だと思っている。

 

2つめについて。

 

これは自分自身を見つめることで気づいたことである。戦争の記録を調べていくなかで、僕は自分の中に、悲惨なものを見ることへの「好奇心」があることを自覚していった。インターネットを見てもわかるであろうことだが、人間の「死」を見ることはひとつのエンタメにさえなっている。人は刺激を好む。「性」がその対象として周知されているように、「死すること」もその対象となり得るものである。僕はこれが世界から戦争がなくならない理由の一側面だと思っている。政治や倫理の皮を剥がしてみれば、熱狂に酔いしれる大衆の、アノニマスなその相貌が見えてくる。僕もそのなかの一人だということを忘れて、平和を考えることはできないと思っている。

 

3つめについて。

 

人間の残虐性は日常にも潜んでいる。わざわざ戦争の記録を開かずとも、人間は残虐だということはわかるのである。何気ない会話の端々に、誰かを差別するような言葉がある。私たちの毎日の生活は、ただで成り立っているわけではない。食べ物も衣服も玩具でさえも、誰かが汗を流して働いた結果、僕らの手元に届いている。ところがそれらを享受することに僕たちは何のためらいも持たない。当然のように贅沢をして、まだ足りないと心のどこかで思っている。犠牲は日々支払われているにも関わらず、僕たちは「戦争反対」というスローガンのもと「平和」に暮らしている。

 

以上の3点を踏まえ、僕が言いたいことはごく平凡なことである。戦争を非日常として捉えているのならば、それは少々認識が甘いということ。戦争の根底にあるのは暴力だ。暴力はさまざまな形に姿を変えて、僕たちの日常に隠されている。そのことを知るべきタイミングが、人にはあるということ。知った上でどう向き合うかを、各人がよくよく考えるべきである。平和という理想へ近づくための一歩がそこにあると、僕は思っている。

 

素直なひとびと(子どものような心を持つひとびと)にとって、暴力は親しみ深い友人でもある。子どもは躊躇なくひとを叩くし、ひとの悪口を言う。子どもたちの普段の「遊び」のうちには、暴力がごく自然な形で溶け込んでいる。大人の遊戯のうちにも、僕たちの心に潜んでいる「嗜虐心」を満たすことを目的とした戯れが散見される。僕たちは自らのうちにある「獣」を檻に閉じ込めて忘れてしまうことを目標としてはいけない。その「獣」を手なづけ、牙や爪によって他者を傷つけないように操ることこそが本来の目標なのである。

 

死と向き合うことは、多くの人々にとって大きなストレスである。僕が幼いころにふさぎ込んでしまったように、必要な準備の整っていないひとが死と向き合うことは、そのひとの心に大きな傷を作ってしまう恐れがある。(上手く忘れてしまうひとも多いであろうが。)

 

僕はここで「現実を直視せよ!」とか「幻想に救いを求めよう」などと言いたいのではない。僕たちが本当に向き合うべきは、自分自身とその相手である。人は然るべきときに然るべきものと向き合う(これは互いに呼び合うためである)ものだと思っている。あなたが何か動かしがたいもの、思わず目を逸らしたくなるようなものと対峙したとき、その対象はあなたの心を映す鏡でもあるということを考えてみてほしい。

 

「戦争の記録から僕たちはなにを学ぶべきか?」

 

ある事実について、あなたが知りたくないと思うのであれば、知らないでおくのもひとつの選択だと思っている。戦争の記録は決して「知らなければならない」というものではないと思う。しかし僕たちが平和について考えるとき、あるいは様々な争いについて考えるとき、向き合わなければならないのは「見たくない現実」かもしれない。あなたがそれを求めるタイミングをきちんと見定めて、然るべきものを見たり聞いたりすることを恐れないでほしいとも思う。希望を語るのであれば、僕たちはきちんと立ち直ることができるはずだ。

 

僕は心から核兵器が2度と使用されないことを願っている。今なお続く戦争も、いつかなくなってくれることを願っている。このことを本当に願うことができているのは、過去の自分が「戦争の記録」から目を逸らさなかったからである。できるだけ多くの人が自分の心と真摯に向き合い、平和を心から望む人がひとりでも増えることを祈念してこの文章を終えたいと思う。

 

以上、書き手は泉楓でした。

遣らずの雨

まえがき【どうも泉楓です。なかなか更新ができず申し訳ありません。今回はとりとめのない雑談ですが、楽しんでいただければ幸いです。】

 

 

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休むのがどうも苦手である。同じ悩みを抱く人は案外多いものだと想像できるが、この悩みへの対処法には個性が出てくるものだと思う。その人の習慣にはその人の色が滲み出るものだ。

 

僕の場合、休むのが苦手な理由はひとつにまとめることができる。ずばり「頭の中の整理が苦手」だからだ。僕の脳みそには、何かを考えているか、ボーっとしているかのどちらかのモードしかない。熱中か忘却。保留という機能が欠けている。

 

この欠陥の原因は「本をよく読むから」ではないかと考えている。脳髄が言葉の湖だとすれば、僕の脳髄は常にせわしなく対流が起こっているようなものだ。浮上と沈澱。誰かが言葉を上手く掬いあげて管理してくれたらいいのに。

 

対処法はある。ノイズの中に身を浸すこと。「木を隠すなら森の中」ではないが、あえて言葉の奔流の中に自身を投げ入れて、ある特定の言葉の存在を相対的に薄めるのである。ラジオを聴くのが最も手軽な手段だろう。

 

だが、意味のある言葉がしんどいこともある。いくらカオスであっても、そのひとつひとつは生きた言葉である。言葉の雨がノイズになってくれないとき、どう対処したらいいのだろうか。そうだ、意味のない集合、本当のノイズに身を晒せばいい。

 

https://youtu.be/R-m8cmAOUpE

 

雨の音を聴くのにハマっている。上のリンクは「Forest of wing」というYouTubeチャンネルの動画である。おそらく最も有名な「自然音BGM」チャンネルのひとつではないだろうか。画質・音質ともに良質なのでおすすめだ。

 

「なぜ雨の音が好きなのか?」

 

これはもう説明した通りである。無意味なノイズ、不規則な音の集合は、頭から余計なものを排除してくれる効果があると思っている。悩みや考え事はおおかた、いま考える必要のないものだ。そうはわかっていても、頭の中から思考を追い出すのは至難の業。これを自然に行える人が羨ましい。いったいどのように行っているのか甚だ疑問である。

 

雨音はこの悩みを容易に解決してくれる。雨音に掻き消された言葉たちは、姿を失い、その魂だけがゆらゆらと浮遊する幽霊のような存在になる。場所を占めてしまう存在が煩わしいとき、存在なき存在としての幽霊は、私たちの良き隣人として独り言を聞き流してくれる。雨音には、人と話したときのような浄化作用があるのではないだろうか。

 

雨音といえば、良寛という有名な歌人の歌にこんなものがある。

 

いにしへを思へば夢かうつつかも夜は時雨の雨を聴きつつ

 

夜雨の音を聴きながら昔を思うとき、それは夢であったのか現実であったのか境がわからなくなる、と僕は解釈する。「雨音を聴く」ということを楽しむ人は今も昔も存在しているのだ。そこに共通した情緒があることを思わずにはいられない。

 

ところで、雨音を聴くことは、絵を鑑賞する行為に似ていると思う。雨音には奥行きがあるからだ。はるか見えない場所の無数の木の葉を弾く雨粒の音、遠くで地面を叩く無数の雨粒の音。

 

それらを背景として、目の前で鳴っている音がある。水溜りの水面を叩く音、住む家の屋根を叩く音、どこかを流れる水の音、溜まった水が大きな粒となって、規則的に地面へ落ちる音。

 

このように、様々な雨音は全体を為して、いまこの耳に入ってくる。雨音は奥行きと陰影を湛えた情景を私たち銘々の脳裏に想起させ、それぞれの態度によってその姿を変えているのだ。それはまさに優れた絵画と対面した私たちの反応と似ていると思わないだろうか。

 

いま蝉の声を聴きながらこの話を書いている。蝉の声も昔から日本人が親しんできた音という意味では、雨音と似ているのかもしれない。

 

けれども僕の中で蝉の声とは、ある特別な意味を持ってしまった音なのだ。8月の暑い夏、蝉の声に包まれて思い起こすのは約80年前に終わった戦争である。直接体験したわけでもない戦争を、どうして僕が想起するのか。それは他でもない「原子爆弾」のせいだ。

 

長崎の街で生まれ育った僕にとって、8月9日といえば「原爆の日」である。蝉の声は戦争で失われた命が、生きたいのに生きられなかったことへの未練を叫んでいるように聞こえるのだ。

 

音や色彩は、意味を持つ言葉と違って形だけのものかもしれない。だから私たちはその内部の空間に何かを感じ取り、それぞれが好きな物事を投影することができる。存在を感じ、存在を受け入れるという行為は私たちが不断に行っているにも関わらず、あまりに当たり前のことなので、忘れてしまいがちな行為ではないだろうか。そんなことを夏の盛りに考えている僕がいた。

 

終わり。

 

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇 虚構の価値と魂のルフラン

 

本記事は『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレを含む箇所がございます。あらかじめご了承ください。

 

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エヴァンゲリオンが終わったー

 

ひとつのアニメ作品が完結したというだけでこれほど騒がれているということは、アニメに興味がない人からみると異様なことなのかもしれません。私自身は1995年生まれです。当時放送されていた『新世紀エヴァンゲリオン』を新鮮な感覚で鑑賞した世代の人々と比すれば、この事件から受けた衝撃の度合いは低いのかもしれません。しかし、そんな私でさえ『シンエヴァ』を観た後の感傷はかなり深いものでした。今回はその事件的作品と私の好きな詩人との類推から得た感想を述べようと思います。

 

  • 運命とは何か テーマソングから見えるもの

 

残酷な天使のテーゼ 少年よ神話になれ

 

エヴァを象徴するような歌詞であることは周知のことでしょう。テーゼとはドイツ語で定理、命題を指します。哲学用語ではありますが、本作においてはどのような意味合いを持ちますでしょうか。「天使」と聞いてみなさんが思い浮かべるのは「使徒」でしょう。とても「天使」とは思えないビジュアルで描かれている「使徒」ですが、そこには悪魔と天使は表裏一体であるという世界観が透けてみえているのではないでしょうか。

 

ご存知のとおり、エヴァの世界観は一神教における聖書がベースとして敷かれています。「使徒」は神からの「言葉」を人間に伝えるべく天界から遣わされた者なのかもしれません。その「言葉」とは一体なにか。

 

「人類は使徒によって滅ぼされる」

 

これこそが「残酷な天使のテーゼ」でしょう。人類は神の力をコピーし「汎用ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン」を作り上げ、使徒にあらがいます。(詳しくはわかりかねますが、神の力に手を出した人類の罪に対する審判こそが使徒の襲来なのかもしれませんね)主人公「碇シンジ」は、意せずして人類の命運を背負わされ、エヴァ搭乗者として使徒の前へ躍り出る。「少年よ神話になれ」とは彼の運命を示しているのでしょう。

 

しかし、当然ながら主人公「碇シンジ」は自らの運命に苦悩します。人類が滅亡という運命にあらがうのと同様に、彼も自らの運命にあらがいます。「逃げちゃダメだ!」と「嫌なことから逃げ出して何が悪いんだよ!」という相反する自身の言葉に、彼は引き裂かれていきます。引き裂かれるのは彼のみならず、「チルドレン」と呼ばれるエヴァ搭乗者「式波・アスカ・ラングレー」等も様々な言葉と現実の間で精神が引き裂かれてしまうのです。

 

そんな悲劇を見せられた私たち視聴者はもれなくこう思ったに違いありません。

 

「アニメ作品を観ているのに、どうしてこんな残酷な話を見せられているのか」

 

この疑問についても、今後考えていくことになると思います。

 

 

私に還りなさい

記憶をたどり

優しさと夢の水源へ

 

もいちど星にひかれ

生まれるために

 

魂のルフラン

 

傷ついた友達さえ

置き去りにできるソルジャー

あなたの苦しさを

私だけに つたえていってほしい

忘れない 自分のためだけに

生きられなかった淋しいひと

私があなたと知り合えたことを

私があなたを愛してたことを

死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから

冷たい夢に乗り込んで

宇宙に消えるヴォイジャー

いつでも人々を変えるものに

人々は気づかない

行く先はどれくらい遠いの

もう二度と戻れないの

 

『シンエヴァ』の劇中歌に松任谷由実さんの『VOYAGER〜日付のない墓標〜』が使用されたことは大きな話題になりましたね。

 

エヴァのテーマとして欠かせない言葉のひとつに「愛」があります。作中で何度も「愛とは何か?」という問いかけがなされているからです。

 

本作において人類は「リリン」と呼ばれる存在として位置づけられています。ユダヤ教の伝承では、アダムの最初の妻リリスから生まれたとされる悪魔の名が「リリン」です。リリンの母にあたるリリスは「知恵のある女性の象徴」とされたり「夜の魔女」と呼ばれたりしています。

 

「リリンは知恵の実を得た不完全な存在である」というのがエヴァの世界観と考えられます。リリンは不完全であるために単独では生きていけず、常に自らの欠陥を「補完したい」と欲する存在だとされているのです。

 

「愛」は不完全なリリンが他者との繋がりを求める際の根源的な力として働いているものと考えます。人間が元来は完全な状態にあったとするならば、この世に生まれる以前に戻りたいと願う心は、この「愛」の力に引かれていると考えることも可能です。とすれば、本作において「エヴァ」は「母の愛」の象徴だと捉えることもできます。実際、主人公碇シンジエヴァ搭乗時に精神的な安息を台詞にして語っています。

 

ここで「愛」は「死への欲求」とも捉えることができることにお気付きでしょうか。旧劇場版エヴァンゲリオン劇中歌『甘き死よ、来たれ』にも象徴されているとおり、死んでしまうことであの世に行けるのだとしたらそれは「susser Tod」、より完全な状態へ昇華して安息を得ることに他ならないのではないでしょうか。

 

エヴァの大きな謎のひとつ「人類補完計画」とは、碇ゲンドウの「愛への渇望」と奇怪な一致を示し、作中にて様々な儀式を経て遂行されていく人類の償いであり、罪過の繰り返しでもあります。

 

孤独に闘う戦士に訪れる死は「もう戦わなくていい」という愛と赦しの言葉であると共に、その魂を得体の知れない「あの世」という場所に縛りつける呪いと断罪の墓標でもある。祝福と呪詛は一体にして、繰り返される破壊と再生の預言といえるでしょう。これはいわば終わりのない「魂のルフラン」なのかもしれないですね。

 

『シンエヴァ』で好きなシーンを挙げろと言われたとしたら、私は「葛城ミサト式波・アスカ・ラングレーの特攻シーンだ」と答えます。特にアスカは個人的に感情移入してしまうキャラクターなので、彼女が命をかけて敵に飛び込んでいくシーンで私の心は浄化されるのです。

 

母の愛を充分に受けられずに育った彼女もまた、欠落した何かを渇望する存在として登場します。自らの存在意義を軍隊という組織に預け、唯一無二の存在として認められたいという一心で成績トップを取り続けてきた彼女。人類の存亡をかけた作戦に身を投じて死するということは彼女が常に望んできたことなのでしょう。鑑賞中「おバカさん」という甘い囁きに涙を流したのは私だけではないはずです。

 

 

先日、NHKで放送されたドキュメンタリー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀庵野秀明スペシャル~」をみなさんはご覧になりましたでしょうか。アニメーションスタッフが仕上げた仕事をみて、何度もやり直しの指示を出す監督 庵野秀明の姿はとても印象的でした。あまりに酷な絵コンテからのやり直しの判断。どうして彼はそのようないたずらにも思える判断を繰り返すのでしょうか。

 

私はそのような行為こそが、彼の作劇法だからではないかと考えるのです。言い換えれば、そのような方法でこそエヴァンゲリオンという世界は作られるのだということです。

 

創る、壊す、の繰り返し。出来てきた世界を批評し、さらに庵野秀明の内部にあるイメージに近い世界観へ描き変えていく。そうして完成したものでさえ批評して破壊していく。破壊されて露出した内部にこそ本質がある。庵野秀明の哲学はそういったものなのではないでしょうか。だから壊す。何度でも創っては壊していく。さて、ここで先程の疑問にも答えが見えてきます。

 

「残酷な世界をどうしてわざわざ見せられなければいけないのか」

 

答えは、それこそがエヴァンゲリオンという作品、そして監督 庵野秀明の作劇の本質だからでしょう。キャラクター造形、メカデザインから世界観の設定まで、それらをことごとく破壊しないことにはエヴァンゲリオンという作品は生まれてこないのです。逆説的に聞こえるかもしれませんが、エヴァンゲリオンという作品自体が「作品を破壊する」という理念のもとに作られた物であるからなのです。

 

こういった考え方は独特ではあるかもしれませんが、特別に斬新というわけではありません。芸術の世界には似たような考え方があります。象徴主義、耽美主義から派生した退廃主義、デカダンと呼ばれるものです。フランスのボードレールランボーヴェルレーヌ、イギリスのオスカー・ワイルドなどが代表的な作家です。

 

私の好きな詩人の中原中也は特にランボーの影響を受けて詩人を志したといいます。中原中也の詩を一篇、ここに引いてみます。少し長いですが、作品を尊重してそのまま引用します。

 

盲目の秋

   Ⅰ

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間、小さな紅の花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄な嘆息するのも幾たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛え、

  去りゆく女が最後にくれる笑いのように、
  
厳かで、ゆたかで、それでいて佗しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

   Ⅱ

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

人には自恃(じじ)があればよい!
その余はすべてなるままだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行いを罪としない。

平気で、陽気で、藁束のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

   Ⅲ

私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまいってしまった……

それというのも私が素直でなかったからでもあるが、
  それというのも私に意気地がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……

おお! 私の聖母!
  いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

   Ⅳ

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
  その時は白粧をつけていてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射していて下さい。
  何にも考えてくれてはいや、
  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径を昇りゆく。

 

私はエヴァンゲリオンという作品に、この詩と似た詩情を感じます。何かを犠牲にして、時には自分自身をも犠牲にして望みを叶えようと物語を進めていく登場人物たち。流れるレクイエムは祝福か呪いか、その見分けさえつきません。しかし散っていくその姿は言葉を失うほどに美しい。ひとの心は孤独で脆弱で、いつも何かを渇望しています。器を失って露出した心は、凶暴で、残酷で、非情な姿を見せる。それは同時に、穏和で、慈悲深く、愛情に溢れてもいる。そんなアイロニカルな人性の本質を肯定することこそが、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』で描かれたテーマではないでしょうか。

 

中原中也庵野秀明と似たような方法論で、表現(expression)を突き詰めようと試みた詩人でした。表現する対象を潰して中身を露出させ、本質を観察し描写する。解剖学の発展が美術の発展を伴ったように、デカダン派の血脈を受け継いだ表現者たちは、対象が眼前に表れるとそれを破壊する衝動に誘われてある種の狂気と見える世界へと入っていったのでしょう。虚構の世界が私たちの代わりに犠牲となってくれているということは、よくよく考えてみる必要のある興味深い問題だと私は思います。

 

今後、象徴主義や耽美主義の芸術や、デカダン派の芸術の話もできたらと思っています。

 

以上、書き手は泉楓でした。

 

下画像【象徴派の代表的な画家 オディロン・ルドンの言葉と作品の模写】

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Franz Liszt <Les jeux d'eaux a la Villa d'Este> フランツ・リスト「エステ荘の噴水」

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 こんにちは、ねむろえみです。今日はリストのピアノ独奏曲集『巡礼の年 第3年』に収められている「エステ荘の噴水」について感じたこと、思ったことを書いていきます。

 前回書いた「水の戯れ」とやや比較しながら聴いてみました。最初の印象としては標題の通り噴水っぽさがすごく感じられる曲でした。噴水っぽさってなんだよと思われるかもしれませんが、これは聴いていただくのが一番分かりやすいです。冒頭からアルペジオトレモロによって噴水のきらきらが表現されているように感じられます。

 

曲の特徴、聴いてみた感想

 リストといえば、おそらくクラシックをよく知らない方も聴いたことがある「ラ・カンパネラ」が非常に有名ですよね。個人的にオルゴールの音が好きで、どんな音楽がオルゴールに適しているかいろいろと探していたことがあるのですが、「ラ・カンパネラ」はピアノはもちろんオルゴールの音とも相性が良い曲だと思いました。高音域のキラキラした感じがすごく合うと感じたからです。(ただ、オルゴールで実際に演奏できるかまで考えたことはないです。)しかし、綺麗な響きでありながら、単旋律に装飾音がたくさんついているので、弾くのがとても難しそうです……。私にとっては弾いてみようと思ったことさえないぐらい難しいですし、プロの方でもミスしやすい曲ではないかなという認識です。今回とりあげた「エステ荘の噴水」も、「ラ・カンパネラ」と同様にメロディーに対して多くの装飾音があり、弾くことを考えると「綺麗だな」なんて言っていられないほどの難曲に思えます。とはいえ響きが美しいですね。息の長いフレーズがリストらしく感じられますし、噴水のような水の動きを捉えている感じがします。そして、きらきら感だけでなく、しっかりとした存在感の主旋律などの単旋律の響きが心地良いです。ちなみにラヴェルよりメロディの輪郭がはっきりしているので歌えそうです。

 

風景描写でなく心理描写?

 調べてみたところ、『巡礼の年』には多くの標題が書かれていますが、どうやら絵画的な描写ではなく、「エステ荘の噴水」ならあくまでエステ荘の噴水を見ている人の心理描写をしているようです。訪れた場所の噴水を見て自分が感じ取ったものを曲にしたという感じでしょうか。私も似たようなことをやりたいと思ったことがあるのでなんだか嬉しくなりました。しかし、「水の戯れ」と比べるとこちらの方が映像として噴水が目に浮かぶ感じがあります。リストの曲ではあまり言われないかもしれませんが、初めて聴いたときは印象派的な響きのする曲で驚きました。ドビュッシーラヴェルに影響を与えたらしいですが、これには納得です。

 ちなみに、エステ荘というのはイタリアのティヴォリにある貴族エステ家の別荘で、庭園内には水オルガンの噴水やドラゴンの噴水、百噴水など、ギリシャ・ローマ時代のモチーフの噴水が500ほどあるようです。

  さらに調べてみたところ、リストは「標題音楽」という用語を音楽史上初めて生み出していることが分かりました。先ほどの説明ではわかりやすさを重視して「心理描写」と書きましたが、もう少し詳しく言うと、形象以前の根源的な存在である〈詩〉[Poesie]を音楽で表したものと考えるのが良さそうです。音を使った音楽の〈詩〉というわけです。次の項目ではちょっとややこしい標題音楽絶対音楽の話について書いてみます。

標題音楽絶対音楽

 クラシックを聴いていると、しばしば登場する用語ですが、どんな音楽を指しているのか分からないと思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私も明確に分かっているわけではありませんし、人がどういう意味で使ってるのかまでは分かりかねるなと思っていて、混乱することがあります。しかし、リストについて調べてみると、私のように混乱する者がいるのも無理はないなと感じました。「標題音楽」[programmusik]という用語を音楽史上初めて生み出したのは、リストだったのですが(1855)、現在において指し示される〈標題音楽〉とは異なっていることが多々あるからです。そして、「絶対音楽」についても、現在で指すところの意味と、リストが活躍していた時代では異なることが分かりました。詳細は後ほど説明します。

 今言われる標題音楽とは一体どんなものを指すのでしょうか。本やネットでいくつかあったので、挙げていきます。

標題音楽とは

①タイトルの付いている音楽
②物語音楽
③情景の描写音楽

Wikipediaでは③を標題音楽として説明されていましたが、これら①~③の定義は誤解だとエヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』(158頁)では言われています。この著書では、リストの意図した「標題音楽」についての記述もあるので、引用します。

リストの指す標題音楽とは

 リストの名づけた「標題音楽」は、標題(言葉の詩)を一種の序言として添えることで、音楽が表現している「詩的観念」を聴者に分かりやすく示した音楽のことだったのである。つまり、音楽の詩的観念と、言葉の詩的観念は一致するという考えが根底にある(128頁の訳注27参照)。したがってリストの場合、標題となっている詩の物語を具体的に音楽化しようとしたものではあり得ない。

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年158頁

 訳注27についても興味深い話があるので引用しておきます。

[訳注27]
 音楽と詩の独特の関係は、ジャン・パウル(1763-1825)、フリードリヒ・シュレーゲル(1772-98)、ノヴァーリス(1772-1801)らドイツ・ロマン主義の重要な美学となっている。すなわち、すべての芸術には共通する〈詩〉[Poesie]があり、その〈詩〉は、そこから言葉が詩を汲んでくるような、形象以前の根源的な存在だと考えられた。したがって、言葉による詩の〈詩〉も、音による音楽の〈詩〉も、どちらもその〈詩〉は一致すると想定されていた。こうした前提なしには、リストがなぜ自身の管弦楽作品に「交響詩」という名称を付けたか、理解し難いであろう。

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年128頁


 補足しておくと、「交響詩」もリストが創始したものです。上記の内容を踏まえると「交響詩」は「管弦楽による詩」であると解釈するのが良いでしょう。

 では絶対音楽について見ていきます。絶対音楽とは標題音楽の対峙として説明されることが多いですが、どういったものなのか確認してみます。Wikipediaでは「音楽そのものを表現しようとするような音楽をいう」とありました。詳細は語りませんが、これは19世紀後半にハンスリックが指した「絶対音楽」に近い定義です。

 彼は「音楽は内容以外に形式をもたない」と考え、無規定な感情に音楽美があるとはせず、感情と音楽的内容とを切り離した。

中略

 さらに彼は、音楽以外の芸術ジャンルと共有する「詩的」な性格や、キリスト教的性格とも、音楽の本質を切り離し、音楽の自律性を重視したのである。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年 99頁-100頁


 注意したいのが19世紀前半のドイツ・ロマン主義は、絶対音楽の理念として宗教的性質を認めていました。つまり、リストの考え方は当時のドイツ・ロマン主義者たちの絶対音楽の理念にかなり類似していることがうかがえます。(標題があるかどうかの差はあったようですが)。

 読みながら頭の中で整理するのが大変ですね。本当はもっと詳細に語りたいのですが、字数がとんでもないことになるのでこのぐらいにしておきます。

宗教と音楽
 音楽の効能には何があるでしょうか。好きな音楽を聴いたら、癒やされたという経験はありませんか。音楽は、古代ギリシアのときからその癒やしの効果というものが注目されていました(心を鎮めるという意で)。アリストテレスの『詩学』以降ではその効果をカタルシス(浄化の意)と呼ぶこともあります。

 リストは宗教音楽を多く書いた人としても有名で、宗教音楽観に関する記述も残されています。

「音楽は本質的に宗教的であり、……有限と無限というふたつの世界の交わりに仕える以上に、音楽にふさわしい役割があるでしょうか」(1865年5月20日の書簡)、「芸術は宗教と別物ではなく、真の宗教、すなわちカトリックの、教皇の、ローマの宗教の明確なる具現なのです」(1868年8月1日の書簡)。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、40頁

 リストにとって死とは、生がもつ不本意な首枷からの解放・救済であり、それを和らげるものが宗教であった。そして音楽は本質的に宗教的なものであるから、この首枷からの救済という役割を担い、人間と神との仲介となる。したがって音楽は祈りを内包し、言葉だけでは不十分なものを充填すべきである。宗教音楽は生きている人にも、死した人にも光と贖罪を与え、高めるのである。このように、音楽はおのずから宗教的性格をもっているというリストの考え方を、理解しておく必要があるだろう。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、131頁-132頁

 「エステ荘の噴水」の曲の半ばに、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(新共同訳)という標題があります。「エステ荘の噴水」を含め、『巡礼の年 第三年』は、晩年のリストの様式をはっきりと示していることが全体を通してうかがえます。「エステ荘の噴水」は『巡礼の年 第三年』の中では明るい曲でした。他の曲と並べて聴くと、相対的により明るく聴こえてきます。

余談

 リストの宗教音楽は決して保守的なものではありませんでした。保守的とされる教会音楽というジャンルにおいて、理解され難い前衛的な作品を出版しようとしていました。

 この曲には、この時期のリストが感じていた不安と悲しみ、諦念などが、イエスの受難とクロス・オーバーしながら、無調的な手段を駆使して表現されている。前章でも触れたように、彼にとって宗教音楽とは、生の苦しみからの解放、救済の役割を果たすべきものであった。つまり、リストにとって宗教音楽と無調音楽は表裏一体の関係にあったのである。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、169頁(「この曲」とは《ヴィア・クルチス》のこと)。


 そして、リストはドイツ的な理念を持っていましたが、教会旋法の導入をしています。これはフランスで提示された方法論であり、方法論としてはフランスに類似するものでした。音楽的な位置づけとしてリストは面白いところにありますね。

 

 いかがでしたか。引用したいところ満載で伝わりにくかったかもしれません。もっと詳しく書きたいこともありながら大分削ったのですが、美学的な話になるとついつい長く話したくなってしまいました。次の曲はもっと気楽に書きたいなと思います。(どうなるかわかりませんが)。

 

引用・参考文献

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年

椎名亮輔 編著、三島郁、筒井はる香、福島睦美著『音楽を考える人のための基本文献34』アルテスパブリッシング、2017年

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年

ピティナ・ピアノ曲事典

 

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私の幸福論 第四部 番外編

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こんにちは、泉楓です。

 

『私の幸福論』と題して世界三大幸福論と呼ばれる著作を読んできて、私自身の考えも大きな影響を受けたなと感じています。

 

倫理学におけるひとつの定理。それはアリストテレスが提示した"人間の営為には目的があり、目的の最上位にある、それ自体が目的である最高善が幸福である"というものでした。

 

ひとは誰もが幸福になりたいと願っている。ヒルティの『幸福論』にも似たような箇所があるので引用します。

 

哲学的見地からはどのようにも反対できようが、しかしひとが意識に目ざめた最初の時から意識が消えるまで、最も熱心に求めてやまないものは、何といってもやはり幸福の感情である。

ー中略ー

ひとは勝手に「幸福説」を非難するがよい。しかし幸福こそは、人間の生活目標なのだ。人はどんなことをしてもぜひ幸福になりたいと思う。最も厳格なストア主義者でも、他の人々が幸福とみとめるものを断念することによって、彼の流儀で幸福を得ようとするのだし、極端に世をのがれようとするキリスト者でさえ、別の生活のうちに自分幸福を求めるのに過ぎぬ。また厭世家も結局、かれのひそかな誇りのなかに幸福を感じ、仏教徒は無、すなわち無意識のうちに幸福を置くのである。幸福の追求のように万人共通のものは、ほかにないのである。

 

ところが、ヒルティは上記のように語ったあとに、「幸福」という言葉に含まれる「憂鬱な」響きについて語ります。つまり、幸福について語ることからはすでに不幸の香りがすると。だから幸福とは本来、ただ無意識のうちにのみあるものだと。

 

こうした意見に対してヒルティはキリスト教的世界観のなかで答えを導いてゆきます。続いて『幸福論』から引用です。

 

われわれの考えは、それとは違っている。幸福は必ず得られるものだと信じている。もしそうでなかったら、むしろ沈黙して不幸を忍び、これを口にすることによってかえって不幸の自覚を深めない方がいいだろう。

ー中略ー

幸福についてなにがしかの誤った観念でさえ、時には必要であるように思われるのも確かである。そうでなければ、個人も社会も、本当の幸福の基礎としてぜひ必要な程度の精神的および物質的発展に達することができないであろう。

 

ヒルティはここに「幸福の問題の最大の矛盾」を見出すのです。「本当の幸福」を得るためには、必要充分な程度の精神的および物質的発展がなければならない。しかし、その発展のためには幸福が必要なのである。未だ得ることのできない幸福を得るために幸福が必要だということ。

 

「われわれは自分自身の経験によって、幸福をもたらすことのない多くのものを、あらかじめ知っておかねばならぬ。」と前置きした上で、彼はダンテの『神曲』の一節を引用します。

 

*ダンテ「神曲」煉獄編、第二十七歌。

 

いとも多き枝によって死ぬばかりの人のあこがれ求める甘い果実は、

今日こそきみが願いをことごとく癒すであろう。

………

登り行こうと願うわが心いやまされば、

そのあと、わたしは翼が生えて飛び行く心地がした。

 

厭世家が言うように、この世界は苦しみに満ちており、まことの幸福の生活など望み得ないかもしれない。「願いに願う心」にも、そしてまた正しい道にあって「魂に紫の翼が生えた」(悪魔の魂)ように感ずるこの感情にも、すでに真実の幸福がないのなら、彼の厭世説は正しいかもしれない。

 

幸福の状態は私たちの理解の外にある。この世の中では幸福な生活を送ることはできない。これを認めながらもヒルティは強調するのです。

 

「われわれはなお幸福に到達し得るのである。」

 

力強い言葉ですね。信仰の本質が垣間見える気がします。ヒルティの『幸福論』において多用されるこの論理。真実には誰も到達し得ないが、真実は神と共にあり、私たち人間がそれを強く望むならば神はいつも私たちの中にいるということ。

 

いつの時代においても、どのような状況であっても望み得る幸福とは「未来への希望」ではないでしょうか。

 

未来を予知するほど賢くはなく、過去を忘れるほど愚かでもない。知っているかのように未来を語るものは傲慢であり、過去を省みらぬものは愚盲であると言われる。

 

悩ましい私が少しでも成長するためには、誤ちであったとしても何かを経験するしか他に道はない。その道程で耐えきれないほどの苦痛を感じたときには、何か大きなものに身を預けてみるのも悪くはない気がします。

 

今回はここまで。書きたいことは溜まっている一方で、ヒルティの著作をまとめるにはまだ読み込みが足りないと感じています。経験のないものについて理解するのには時間が要るものだなぁと思いつつ、何か更新したかったので、今回のような記事になりました。それでは、おやすみなさい。

 

私の幸福論 第四部 第一章

 

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幸福、それは君の行くてに立ちふさがる獅子である。たいていの人はそれを見て引き返してしまう。ーカール・ヒルティ

 

こんにちは、泉楓です。幸福論も第四部まできて、ついにヒルティの『幸福論』に及びます。ヒルティの幸福論を読み、「私の幸福論」として解釈をしていくなかで、私は思いました……。

 

「普段の考え方と違いすぎる!」

 

はい、ヒルティはスイスで生まれ育った敬虔なクリスチャンです。大学では哲学や法学を学び、卒業後は弁護士として職務に励みます。二十三歳の頃はスイス軍の歩兵将校として法務に就きました。四十歳でベルン大学教授となるまでの間に、彼は哲学的探究と信仰心の狭間で頭を悩ませます。

 

神、キリスト、および眼に見えるものとならんで存在する眼に見えない世界と、その世界の秩序を信ずることは、最初は決断の行為であり、多くの人間にあっては、絶望の行為といっていいほどのものである。このような不可思議な存在が真理であり、必然であることが、哲学的になっとくゆくまで待とうとすれば、ひとはけっして信仰にいたることがないのだ。ー白水社 アルフレート・シュトゥッキ著 『ヒルティ伝』より

 

神が存在し、その被造物として存在する世界。この世界の秩序が「神によってもたらされた秩序である」と信じることが信仰の始まりなのだとしたら、それは決断の行為であり、多くの人間にあっては、絶望の行為といっていいほどのものである"と彼は言っているのです。

 

絶望の行為……。哲学的に納得のいく真理を待たずに、世界への認識を信仰に委ねるということ。これは幼い頃からクリスチャンだったヒルティ自身にとっても深い問題だったのでしょう。逆に言うならばそれは、ヒルティは初めから信仰心を、一切の疑いもなく持っていたわけではないということ。彼自身の知性によって慎重に吟味したのちに、それを受け入れたということではないでしょうか。

 

もっともすぐれた哲学といえども、きまって不安におびえているか、それとも悲観主義的である。なぜならば、哲学は、あらゆる場合に十分に働きうる、あるひとつの力の存在をこそ信ずることができない、が、この力によってのみ平和が獲得されるのである。ー同上

 

一八六三年十月は、今まで多くの幻滅や、ふかい悩みによって成熟してきたわたしの精神が、あらたなる深化をもとめはじめた時である。わたしの精神はエルヴェシウスから出発して、あらゆる哲学をとおる大まわりの道の末、すでに一八五三年に予感的にとらえられた、唯一の真なる理念へとかえったのである。ー同上

 

ここに表された"あるひとつの力の存在""あらたなる深化"とは他でもなくキリスト教において表された真理、"唯一の真なる理念"、すなわち神、ではないでしょうか。

 

そう、ヒルティの幸福論の底には常に神への信仰があります。それゆえに日本で生まれ育った私にとって容易には理解できない考え方をしています。それは神がたしかに存在しているということ。神は真なる理念を基にこの世界を創造されたということ。

 

哲学の世界では、しばしば二項対立の問題が議論の場に躍りでてきます。相対主義か絶対主義か。経験主義か合理主義か。善悪、美醜、真偽など。神を概念として扱い、哲学的に語るならば、これらの対立を超えた存在が神となります。神はあらゆる対立を判断することができる唯一の存在なのです。そこに論理があるにしろないにしろ、神は論理を超えた判断が可能だというのです。私たち人間は神の論理が(あるとするならば)理解できないので、人間があらゆる事物を判断することは傲慢な行為ということになります。

 

神について議論すること自体を禁ずる信者もいるようですが、ヒルティは少し違います。神は存在するにしても私たち人間の自由意志がないとは考えていないようです。神の言葉、つまり聖書に記された預言は素晴らしいが、私たちはそれをよく吟味し心からそれを正しいと感じることで正しい信仰を授かることができると考えているようです。

 

神を唯一絶対の存在だと考えるキリスト教の教義は、常に「独断的ではないか」という批判に晒されていると言っていいでしょう。たしかに他の矛盾した論理に対して議論の余地なく偽であると断じる他ないそれは独断的です。しかしヒルティの考えを読んでいるうちに、ヒルティの信ずる神と真理は私たちが抱いているイメージとは少し違うように思えてきたのです。

 

私は前回の幸福論、第三部の最後に次のように語りました。

 

不幸の原因を遠ざけ、幸福の要因に自ら歩み寄っていく。確かに多くの人はこの実践的なプロトコルに従っていれば幸福になれるのかもしれません。

 

しかし、この世界にはそのプロトコルを機能不全に陥れてしまうような不条理な出来事が溢れていませんでしょうか。

 

生まれつき戦争の渦中にいる者、生まれつき飢餓状態にある者、生まれつきあらゆるチャンスが奪われている者。

 

生きづらい、悲しみや苦痛に覆われて前も見えないという人々が、この世界には存在していると思います。ラッセルやアランも言っているように、世界全体が幸福でなければ、私が真に幸福になることはできません。それは逆も然りです。

 

ラッセルやアランが示した幸福論には限界があるのではないか。論理的に徹底して考えられた幸福論はとても素晴らしいが、いついかなる時にも人は幸福になれると示せたのだろうか。

 

幸福になりたいと切実に願うすべての人にとって、もしかして「幸福な人」というのは「不安のない人」ではないのか?という疑問は拭いきれない問いとして存在しているのではないでしょうか。いついかなるときも、全く不安のない人というのは「幸福な人」かもしれませんが、はたしてそのような人は存在しているのでしょうか。

 

わからない。結論は出ないのです。私たち人間は有限ですが、不安は無限につきまといます。どんなに理論武装を施そうとも、他者は私たちに疑問を投げかけ私たちを仄暗い不安の底に落とすのです。

 

ならばどうでしょう。神を信じてみても良いとは思いませんでしょうか?神の示した啓示や忠告、私たちに与えられた行動規範が私たちから不安を取り除いてくれるのならば、信仰も割合悪いものではないと思いませんでしょうか?

 

ヒルティほどの知性の持ち主が、充分に吟味した上で信仰こそが大事であるという結論を出したことは見逃せない事実です。私の胸には、キリスト教の教義が素直で慎ましやかな信仰心をよしとしたのには理由があるのだろうということが、もはや疑われない事実としてあります。

 

本日はここまで、次章からはヒルティの『幸福論』の原典にあたりながら、静かで穏やかな幸福を追求していこうと思います。「現代の預言者」とまで評されるヒルティの言葉たち。人生で重要なのは「中庸の精神」である、とはよく言われることですが、ヒルティの言葉は行き過ぎた極端な思想に対して、まるで意思的に、その均衡を保つために存在しているような気がします。ではまた。

 

人生の幸福は困難に出合うことが少ないとか、まったくないということにあるのではなく、むしろ、あらゆる困難と闘って輝かしい勝利を収めることにある。

 

人間の最も偉大な力とは、その一番の弱点を克服したところから生まれてくるものである。ーカール・ヒルティ