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『映画 ドラえもん のび太の新恐竜』Ⅱ

 

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画像引用元:(c)藤子プロ・小学館テレビ朝日・シンエイ・ADK 2020

 

こんにちは、泉楓です。今回は前回の続きですね。『映画 ドラえもん のび太の新恐竜』の魅力について語っていきます。この映画は大人の方にオススメしたい!という理由を3つ挙げていました。まずはそこから振り返りましょう。

 

理由1 懐かしさ 定番の展開とお約束 

理由2 アニメーション 動きで表現する生命の羽ばたき

理由3 テーマ性 物語が深めるメッセージ

 

理由1については、前回の記事に示したとおりです。劇中にはドラえもんシリーズにおける鉄板ネタが存分に使われています。しかし、それが観ている人のほとんどにしっかり伝わっているであろうという事実は『ドラえもん』という作品の絶大な人気度を示していますよね。すごいです。

 

今日は理由2から話し始めていきます。それでは本編です。

 

 

理由2 アニメーション 動きで表現する生命の羽ばたき

 

既にご覧になった方なら共感いただけると思いますが、本作品の大きな魅力のひとつは、素晴らしいアニメーションによるOPとEDです。

 

本作品に出てくる恐竜は3DCGによるアニメーションと従来の二次元アニメーションで書き分けられています。二次元アニメーションで描かれる恐竜は、デフォルメされた可愛らしい見た目(キューとミューそのほか、キャラクターとして役割を持った恐竜が対象)であるのに対して、3DCGで描かれる恐竜はリアル志向の迫力ある絵面に仕上がっていました。

 

本作品OPでは、その3DCGを存分に使用した「生命の進化」をテーマとする短いアニメーションで、短いながらも高密度に情報が詰まったハイクオリティなものでした。序盤からこのOPで観客の心をグッと掴んできます。私も鳥肌が立ちました。ずるい。

 

OPはその作品の軸を提示するための大切な要素だとも言えます。水のなかに浮いている泡から始まり、幾度も絶滅と進化を繰り返して巨大な恐竜へと飛躍していく。まさに本作品が何を伝えたいのかをギュッと詰め込んだ名OPだと言えるのではないでしょうか。

 

続いてED。こちらは二次元アニメーションで描かれています。曲と合わせてスタッフロールが流れていく定番の型ではありますが、ここでもメッセージ性のあるアニメーションが観客を魅せてくれます。

 

OPと同様に泡から始まる生命のリレーが、画面左端を駆けている生物のシルエットによって繋がれていくというものです。私が注目したのはこのアニメーションの後半部分。キューの仲間らしき生物のシルエットが鳥類のシルエットに変化し、さらに猿へ、さらにのび太へ、とバトンを繋いでいきます。のび太が走っていると画面左端からジャイアンスネ夫、しずかちゃんが現れて並走するようになり、最後は画面右端からドラえもんが現れ、みんなで画面中央に集まり観客に向かって手を振る。映画はこの後に予告を挿んで終わりです。

 

演劇では観客から見て舞台左側が下手、右端が上手と呼ばれます。基本的に物語は下手から上手へと展開します。本作品のEDは下手側が過去、上手側が未来を表しているものだと思われます。とすると、ラストで上手側からドラえもんが現れ、進化のバトンを繋いできたのび太たちを迎えるという構図は何か製作者の意図が感じられますよね。映画の締めくくりとして、とても考えられたEDかなと私は思いました。

 

本作品全編を通してですが、「飛躍」というキーワードが根底に流れているなという感じを受けました。実際キューとミューが飛ぶシーンは、繰り返して見ることができます。

 

本作品は、キューが上手く飛べないということと、生命の進化には比喩的な意味で「飛躍」が重要な役割を担っているということを上手く組み合わせて、私たち観客に多様な問題を提起することに成功しているという点で、私の心に強く残る作品となりました。

 

おっと、勢い余って理由の3つ目に頭を突っ込んでしまうところでした。一旦区切って次に進みます。

 

理由3 テーマ性 物語が深めるメッセージ

 

ここからは、私が気になった場面を取り上げながら本作品のテーマについてさらに深掘りしていきたいと思います。

 

川村は『のび太の恐竜』と同じく卵を拾ってきて孵化させる展開はわざとであり、双子が生まれてくる瞬間からパラレルワールドだとしている。

 

……(中略)……

 

「恐竜」に加え取り上げられたテーマは「進化」と「ダイバーシティ(多様性)」である。川村は本作の発表時「多様性が叫ばれる中、それが綺麗事ではなく、人類の進化への歩みであることを語りたい」とコメントしていた。また、別のインタビューでは多様性が「弱者と共存しましょう」という話になりがちなことに違和感を覚えたこと、それが綺麗事でなく生物がサバイブするための必要条件だということをエンターテインメントとして描いたと語っている。

 

今井も他者との違いが進化の本質とし、そこに「人と人の違いをプラスに考えよう」といったダイバーシティの要素を重ねることで、恐竜を通しそういった部分を描けるのではないかと気付いたという。

引用元:「ドラえもん のび太の新恐竜」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年10月5日 (月)14:04 UTC、URL:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ドラえもん_のび太の新恐竜

 

上に引用した文章からわかるとおり、「進化」「多様性」そして「弱さ」は本作品において重要なテーマです。

 

個人的に気になったシーンとしては、冒頭でのび太が「恐竜の卵らしき石」をみつけて大はしゃぎしながら帰宅するシーン。のび太が慌てるあまり足がもつれて、卵を放り投げながら豪快に転ぶという場面があります。

 

一見すると「のび太はドジだなぁ」的な笑えるシーンにも思えますが、私が気になったのはその後です。結構な高さから落下した卵の化石、カメラは地面にぶつかりコロコロと転がる石に寄っていきます。この場面が少し長すぎる気がしました。まるで何か言いたげだと感じた私は、ある妄想を膨らませます……。

 

生まれつき身体が小さく、羽毛も未熟なキュー。このことは前回の記事にも書いたのですが、キューの身体に弱さをもたらしたのはのび太ではないか?と私は思ったのです。

 

しかしながら、のび太が卵を落としたのは化石の時点です。そのあと『タイムふろしき』を使って卵を生きた状態(生きていた時代?)に戻します。ドラえもんの道具によって時間と空間を往来しすぎて色々矛盾があるような気もしますが……。

 

タイムパラドックスを解決するには並行世界(パラレルワールド)の概念を持ち込めば良いのだ!……まあ川村元気さんも「双子が生まれてくる瞬間からパラレルワールド」だと発言しているようなので、矛盾はないのかもしれません。

 

もしも、キューの弱さがのび太の過失によるものだとしたら……。物語はさらに違った表情を帯びるものになりますね。

 

もうひとつ気になった場面があります。この場面は明らかに親世代向けのメッセージを含んでいるのでしょう。キューとミューを元々いた時代に帰そうかと葛藤するのび太のび太の胸中には親ならではの悩みが生じていました。

 

「未熟なキューは恐竜の時代で自立して生きていけるのだろうか……。」

 

キューとミューのためを思い、帰すことを決心するのび太に対し、キューは無邪気にのび太が買ってきた餌でありキューの好物である「マグロの切り身」を要求してきます。

 

「まるで飛べなくても平気だって言ってるみたい……。」

 

キューの態度は愛らしく、観客も思わず「厳しい自然界に帰さなくてもいいのではないか?」と思ってしまいます。観客のほとんどが親子であることをわかっていてこの演出。胸にくるものが大きすぎて少し苦しいくらいでした。

 

補足1 SF(すこし ふしぎ)としてのドラえもん 

 

ドラえもんの道具の中には、現代の科学理論から推論可能なものから、SFと呼ぶにはあまりにファンタジー寄りのものまで様々です。

 

代表的な例を挙げるなら、前者は「タイムマシン」。後者は「どこでもドア」など、でしょうか。しかし、大人の私たちは合理的な視点も持たなければなりません。「タイムマシン」は未来へ行くことはできても過去に戻ることはできないかもしれないし、そもそも「ドラえもん」自体、現代の人工知能技術の延長線上に実現できるのか怪しいところです。

 

ですから、原作者である藤子・F・不二雄先生は「SF(すこし ふしぎ)」という造語によって自らの作品を言い表したのでしょう。

 

では本作品において「SF(すこし ふしぎ)」要素がどのように活かされているのか。そんな視点で楽しんでみるのも私は悪くないと思います。

 

本作品のSF要素のひとつは、ドラえもんひみつ道具が生物進化の過程における「ミッシングリンク」を埋める役割を担っていることです。「ミッシングリンク(失われた鎖)」とは、生物進化の過程を「くさり」のように連鎖したものと見做したときに、連続性を持たない部分のことがそう呼ばれています。

 

有名な話では、猿から人間への進化ですね。人間と猿の大きく異なる特徴は肥大化した脳です。ダーウィンの進化論が正しいとするならば、猿から人間へ進化する過程の化石、中間種が存在するはずなのですが、今のところそれは見つかっていません。

 

本作品中では考古学の博士らしき人物が登場し、「ミッシングリンク」について何度か言及しています。彼の語るとおり、恐竜の進化についても「ミッシングリンク」が存在します。恐竜は6600万年前、ユカタン半島に衝突した隕石によって絶滅したと言われていますが、一方で現代生息している鳥類の祖先は恐竜だと言われているのです。恐竜から鳥へ。いったい恐竜はどのようにして生き残り、どのような変化を遂げて鳥類になったのか。この問題は現在も謎のままです。

 

科学理論上の空白には空想が入り込む余地があります。本作品はこの「失われた鎖」を繋ぐ物語になっているのです。そして物語を飛躍させる鍵となるのが、のび太とキューが共有している「弱さ」であるという構造は、「多様性」という議題が頻繁に語られる現代において大切な視座を提示しているものだと思うのです。

 

今回はここまで。次回は「生物の進化」について、私が考えた内容をまとめたいと思っています。ではまた〜。

 

 

「無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。科学によってこれやあれやの問題を解決することは絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。」

チャールズ・ダーウィン (イギリスの自然科学者、地質学者、生物学者 / 1809〜1882)