縷紅草~ルコウグサ~

金曜日更新のおはなし

小林秀雄の『人形』

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私の実感から言えば、ゴッホの絵は、絵というよりも精神と感じられます。私が彼の絵をみるのではなく、向こうに眼があって、私が見られている様な感じを、私は持っております。ー小林秀雄ゴッホの病気』より

 

人は自らの主観世界に生き、ついにはそこから出ることも叶わずに幕引きを迎えます。客席に並んでいるのは客観世界。私たちは彼らに対してどのような態度を取るかで、その人生という舞台をどう演じるかという問題に多様な応えかたをしているのです。ある者はそれを他人事として割り切り、自らの演技の内側に深く潜っていく。またある者はそれを常に意識して、外側へ向かい涯のない問いかけを繰り返している。他者の視線、視座に関しては多くの哲学者がその問題に挑んできた歴史があります。時にそれは私を殺害しようと企む脅威として、時にそれは私が一体となりたいと願う欲求の対象として、時にそれは自然と同質のものとして浮かび上がるのです。

 

どうして他者が問題となるのでしょうか。それは私たちが他者と他者の関係性の総体であるところの社会に属して生きているからです。人間は自然界を切り取り、そこに社会を形成していますが、それは実体を持たない存在です。私たちは不安という形で、もしくは期待という形でそれを想像しているのではないでしょうか。

 

こんにちは、泉楓です。前置きが長くなりましたが、ここから本題に入っていきます。

 

小林秀雄の『人形』は昭和37年10月、彼が60歳の時に朝日新聞の紙面に掲載された文章です。ここでは私が概略をお話させてもらいますが、親しみやすい文体で書かれている短い随筆なので、みなさんにも是非読んでいただきたい名文です。斜体部は本文をそのまま引用しています。

 

或る時、大阪行の急行の食堂車で、遅い晩飯を食べていた。四人掛けのテーブルに、私は一人で坐っていたが、やがて、前の空席に、六十恰好の、上品な老人夫婦が腰をおろした。

 

ある時。小林秀雄が食堂車で4人がけのテーブルに座って晩ご飯を食べていると、彼の前に60代くらいの老夫婦がやってきて座った。老夫婦からは上品な印象を受けたが、一段と目を引くのは夫人が傍に抱えた大きな人形だった。人形の見た目は形容しがたいもので、食事の席に現れた周囲と不釣り合いな存在は、普通ならば驚いて声を上げてしまうような見た目だったのだろうと思われます。

 

……人形は、背広を着、ネクタイをしめ、外套を羽織って、外套と同じ縞柄の鳥打帽子を被っていた。着附の方は未だ新しかったが、顔の方は、もうすっかり垢染みてテラテラしていた。眼元もどんよりと濁り、唇の色も褪せていた。何かの拍子に、人形は帽子を落し、これも薄汚くなった丸坊主を出した。

 

夫人が目くばせすると、旦那が帽子を拾いあげます。帽子を拾う際に旦那と小林秀雄の目が合います。おそらく彼は、この奇妙な光景をどのように了解しようかと見ていたのだろうと思います。すると旦那は"子供連れで失礼とでも言いたげなこなし"で会釈をし、帽子を窓の釘に掛けたといいます。これを受けて彼は次のように語ります。

 

……もはや、明らかな事である。人形は息子に違いない。それも、人形の顔から判断すれば、よほど以前の事である。一人息子は戦争で死んだのであろうか。夫は妻の乱心を鎮めるために、彼女に人形を当てがったが、以来、二度と正気には還らぬのを、こうして連れて歩いている。多分そんな事か、と私は想った。

 

この文章が書かれたのが昭和37年、終戦が昭和20年のことなので、この話は戦争の傷痕が消え切っていない日本での出来事だと思われます。小林秀雄は人形の見た目から事情を察して"人形は息子に違いない"と判断したのです。

 

夫人は運ばれてきたスープをすくい、いちど人形の口元に持っていってから自らの口へ入れています。小林秀雄はバター皿を手前に引き寄せていたことに気づいて、バターをひとかけら取って彼女のパン皿に載せました。彼女はまるで本物の息子の世話をするように人形へ気を遣っているので、彼の気遣いには気付きません。「これは恐縮」と代わりに旦那の方が礼を言います。

 

そんな折、この不思議な会食の場に、もうひとりの客が現れるのです。

 

……そこへ、大学生かと思われる娘さんが、私の隣に来て坐った。表情や挙動から、若い女性の持つ鋭敏を、私は直ぐ感じたように思った。彼女は、一と目で事を悟り、この不思議な会食に、素直に順応したようであった。私は、彼女が、私の心持まで見てしまったとさえ思った。これは、私には、彼女と同じ年頃の一人娘があるためであろうか。

 

息子に構いながら食事を進める夫人の様子を見て、小林秀雄は考えます。もしかしたら彼女は正気なのかもしれない。彼女は身について離れない習慣を繰り返しているだけではないのか。この記事を書いている私や、読んでいるあなたが、他人には解らない癖を身につけて毎日を繰り返しているのと同様に。

 

しかし、これまでの習慣が身につくまでには時間がかかるものです。彼女は今日まで周囲の浅はかな好奇心"と戦い続けてきたということになります。

 

それほど彼女の悲しみは深いのか。

 

異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えば、和やかに終ったのだが、もし、誰かが、人形について余計な発言でもしたら、どうなったであろうか。私はそんな事を思った。

 

……以上が小林秀雄の『人形』でした。

 

私が初めてこの話を読んだのは、20歳前後の頃だったと思います。ブックオフで適当に見繕った古本の中に、小林秀雄の『考えるヒント』がありました。

 

この短い随筆文を読んで、当時はよくわからなかったと言いますか……「なんだこれで終わりか」「この話をして作者は何を伝えたいのだろう」と感じたのを覚えています。しかし、どこか未知の魅力に惹かれる感覚はありました。ここに表されている何かを知りたい、経験してみたいという欲求、そして懐かしさと言うと違うかもしれませんが、どこかで似たような経験をしたことがあるかもしれないという感じを受けました。

 

今読み返してみると、これは他者との関係の難しさや奇妙さ、言いようのないような不思議な事を表現しているのだと飲み込むことができています。いやはや、何も変わってないと思っていても人は変わるものですね。

 

私たちは常に見られています。こういうと少し怖いかもしれませんが、大抵は暴力的ではない目線の網のなかに暮らしています。このことは私たちを不安にさせますが、こういう「他者の視線」があることで「倫理」という概念が社会秩序を保つために働くことができるのです。

 

この記事の冒頭でも述べたように、私たちが他者に対してどのような態度を取るかで、人生は様々な表情をみせてくれます。

 

今回紹介した『人形』は著者である小林秀雄の主観で描かれています。すべては彼の視線、思考、判断に依存しており、私たちは文を読むことでその中に投げ入れられるわけですが、私たちは彼の言葉に対して他者の視線を向けているのと同時に、彼の言葉からも他者の視線を受けています。

 

彼が老夫婦や人形や女子学生に対して行った批評と判断は、彼が勝手に作り上げたもので、実際のところはよくわからないのです。しかし、女子学生と彼はどこかで通じ合っているように見えます。

 

女子学生は何かを感じ取って、自分の取るべき行動を選択した。小林秀雄はその態度に対して感銘を受けた。そして彼の心持ちまで見られたように思ったわけです。

 

そして"異様な会食は、極く当り前に、静かに、敢えて言えば、和やかに終った"のでした。

 

もし誰かが、他人の心に無関心で、人形に対して何か口を開いたとしたら。自分の脳裏に浮かんだ批評や判断をそのまま言葉にするようなことをしたら。いったいどうなっただろうか……。

 

小林秀雄はそのことを読者に考えてほしいと思ってこの作品を書いたのではないでしょうか。

 

最後に、あなたはこの話を聞いてどう思ったでしょうか。物言わぬ人形があなたを見つめているのです。

 

自分自身と和する事の出来ぬ心が、どうして他人と和する事が出来ようか。そういう心は、同じて乱をなすより他に行く道がない。ー小林秀雄『私の人生観』より