縷紅草~ルコウグサ~

金曜日更新のおはなし

私の幸福論 第四部 番外編

f:id:N73758801:20210226175632j:image

 

 

こんにちは、泉楓です。

 

『私の幸福論』と題して世界三大幸福論と呼ばれる著作を読んできて、私自身の考えも大きな影響を受けたなと感じています。

 

倫理学におけるひとつの定理。それはアリストテレスが提示した"人間の営為には目的があり、目的の最上位にある、それ自体が目的である最高善が幸福である"というものでした。

 

ひとは誰もが幸福になりたいと願っている。ヒルティの『幸福論』にも似たような箇所があるので引用します。

 

哲学的見地からはどのようにも反対できようが、しかしひとが意識に目ざめた最初の時から意識が消えるまで、最も熱心に求めてやまないものは、何といってもやはり幸福の感情である。

ー中略ー

ひとは勝手に「幸福説」を非難するがよい。しかし幸福こそは、人間の生活目標なのだ。人はどんなことをしてもぜひ幸福になりたいと思う。最も厳格なストア主義者でも、他の人々が幸福とみとめるものを断念することによって、彼の流儀で幸福を得ようとするのだし、極端に世をのがれようとするキリスト者でさえ、別の生活のうちに自分幸福を求めるのに過ぎぬ。また厭世家も結局、かれのひそかな誇りのなかに幸福を感じ、仏教徒は無、すなわち無意識のうちに幸福を置くのである。幸福の追求のように万人共通のものは、ほかにないのである。

 

ところが、ヒルティは上記のように語ったあとに、「幸福」という言葉に含まれる「憂鬱な」響きについて語ります。つまり、幸福について語ることからはすでに不幸の香りがすると。だから幸福とは本来、ただ無意識のうちにのみあるものだと。

 

こうした意見に対してヒルティはキリスト教的世界観のなかで答えを導いてゆきます。続いて『幸福論』から引用です。

 

われわれの考えは、それとは違っている。幸福は必ず得られるものだと信じている。もしそうでなかったら、むしろ沈黙して不幸を忍び、これを口にすることによってかえって不幸の自覚を深めない方がいいだろう。

ー中略ー

幸福についてなにがしかの誤った観念でさえ、時には必要であるように思われるのも確かである。そうでなければ、個人も社会も、本当の幸福の基礎としてぜひ必要な程度の精神的および物質的発展に達することができないであろう。

 

ヒルティはここに「幸福の問題の最大の矛盾」を見出すのです。「本当の幸福」を得るためには、必要充分な程度の精神的および物質的発展がなければならない。しかし、その発展のためには幸福が必要なのである。未だ得ることのできない幸福を得るために幸福が必要だということ。

 

「われわれは自分自身の経験によって、幸福をもたらすことのない多くのものを、あらかじめ知っておかねばならぬ。」と前置きした上で、彼はダンテの『神曲』の一節を引用します。

 

*ダンテ「神曲」煉獄編、第二十七歌。

 

いとも多き枝によって死ぬばかりの人のあこがれ求める甘い果実は、

今日こそきみが願いをことごとく癒すであろう。

………

登り行こうと願うわが心いやまされば、

そのあと、わたしは翼が生えて飛び行く心地がした。

 

厭世家が言うように、この世界は苦しみに満ちており、まことの幸福の生活など望み得ないかもしれない。「願いに願う心」にも、そしてまた正しい道にあって「魂に紫の翼が生えた」(悪魔の魂)ように感ずるこの感情にも、すでに真実の幸福がないのなら、彼の厭世説は正しいかもしれない。

 

幸福の状態は私たちの理解の外にある。この世の中では幸福な生活を送ることはできない。これを認めながらもヒルティは強調するのです。

 

「われわれはなお幸福に到達し得るのである。」

 

力強い言葉ですね。信仰の本質が垣間見える気がします。ヒルティの『幸福論』において多用されるこの論理。真実には誰も到達し得ないが、真実は神と共にあり、私たち人間がそれを強く望むならば神はいつも私たちの中にいるということ。

 

いつの時代においても、どのような状況であっても望み得る幸福とは「未来への希望」ではないでしょうか。

 

未来を予知するほど賢くはなく、過去を忘れるほど愚かでもない。知っているかのように未来を語るものは傲慢であり、過去を省みらぬものは愚盲であると言われる。

 

悩ましい私が少しでも成長するためには、誤ちであったとしても何かを経験するしか他に道はない。その道程で耐えきれないほどの苦痛を感じたときには、何か大きなものに身を預けてみるのも悪くはない気がします。

 

今回はここまで。書きたいことは溜まっている一方で、ヒルティの著作をまとめるにはまだ読み込みが足りないと感じています。経験のないものについて理解するのには時間が要るものだなぁと思いつつ、何か更新したかったので、今回のような記事になりました。それでは、おやすみなさい。