縷紅草~ルコウグサ~

金曜日更新のおはなし

Franz Liszt <Les jeux d'eaux a la Villa d'Este> フランツ・リスト「エステ荘の噴水」

f:id:N73758801:20210402191746j:image

 こんにちは、ねむろえみです。今日はリストのピアノ独奏曲集『巡礼の年 第3年』に収められている「エステ荘の噴水」について感じたこと、思ったことを書いていきます。

 前回書いた「水の戯れ」とやや比較しながら聴いてみました。最初の印象としては標題の通り噴水っぽさがすごく感じられる曲でした。噴水っぽさってなんだよと思われるかもしれませんが、これは聴いていただくのが一番分かりやすいです。冒頭からアルペジオトレモロによって噴水のきらきらが表現されているように感じられます。

 

曲の特徴、聴いてみた感想

 リストといえば、おそらくクラシックをよく知らない方も聴いたことがある「ラ・カンパネラ」が非常に有名ですよね。個人的にオルゴールの音が好きで、どんな音楽がオルゴールに適しているかいろいろと探していたことがあるのですが、「ラ・カンパネラ」はピアノはもちろんオルゴールの音とも相性が良い曲だと思いました。高音域のキラキラした感じがすごく合うと感じたからです。(ただ、オルゴールで実際に演奏できるかまで考えたことはないです。)しかし、綺麗な響きでありながら、単旋律に装飾音がたくさんついているので、弾くのがとても難しそうです……。私にとっては弾いてみようと思ったことさえないぐらい難しいですし、プロの方でもミスしやすい曲ではないかなという認識です。今回とりあげた「エステ荘の噴水」も、「ラ・カンパネラ」と同様にメロディーに対して多くの装飾音があり、弾くことを考えると「綺麗だな」なんて言っていられないほどの難曲に思えます。とはいえ響きが美しいですね。息の長いフレーズがリストらしく感じられますし、噴水のような水の動きを捉えている感じがします。そして、きらきら感だけでなく、しっかりとした存在感の主旋律などの単旋律の響きが心地良いです。ちなみにラヴェルよりメロディの輪郭がはっきりしているので歌えそうです。

 

風景描写でなく心理描写?

 調べてみたところ、『巡礼の年』には多くの標題が書かれていますが、どうやら絵画的な描写ではなく、「エステ荘の噴水」ならあくまでエステ荘の噴水を見ている人の心理描写をしているようです。訪れた場所の噴水を見て自分が感じ取ったものを曲にしたという感じでしょうか。私も似たようなことをやりたいと思ったことがあるのでなんだか嬉しくなりました。しかし、「水の戯れ」と比べるとこちらの方が映像として噴水が目に浮かぶ感じがあります。リストの曲ではあまり言われないかもしれませんが、初めて聴いたときは印象派的な響きのする曲で驚きました。ドビュッシーラヴェルに影響を与えたらしいですが、これには納得です。

 ちなみに、エステ荘というのはイタリアのティヴォリにある貴族エステ家の別荘で、庭園内には水オルガンの噴水やドラゴンの噴水、百噴水など、ギリシャ・ローマ時代のモチーフの噴水が500ほどあるようです。

  さらに調べてみたところ、リストは「標題音楽」という用語を音楽史上初めて生み出していることが分かりました。先ほどの説明ではわかりやすさを重視して「心理描写」と書きましたが、もう少し詳しく言うと、形象以前の根源的な存在である〈詩〉[Poesie]を音楽で表したものと考えるのが良さそうです。音を使った音楽の〈詩〉というわけです。次の項目ではちょっとややこしい標題音楽絶対音楽の話について書いてみます。

標題音楽絶対音楽

 クラシックを聴いていると、しばしば登場する用語ですが、どんな音楽を指しているのか分からないと思われている方もいらっしゃるのではないでしょうか。私も明確に分かっているわけではありませんし、人がどういう意味で使ってるのかまでは分かりかねるなと思っていて、混乱することがあります。しかし、リストについて調べてみると、私のように混乱する者がいるのも無理はないなと感じました。「標題音楽」[programmusik]という用語を音楽史上初めて生み出したのは、リストだったのですが(1855)、現在において指し示される〈標題音楽〉とは異なっていることが多々あるからです。そして、「絶対音楽」についても、現在で指すところの意味と、リストが活躍していた時代では異なることが分かりました。詳細は後ほど説明します。

 今言われる標題音楽とは一体どんなものを指すのでしょうか。本やネットでいくつかあったので、挙げていきます。

標題音楽とは

①タイトルの付いている音楽
②物語音楽
③情景の描写音楽

Wikipediaでは③を標題音楽として説明されていましたが、これら①~③の定義は誤解だとエヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』(158頁)では言われています。この著書では、リストの意図した「標題音楽」についての記述もあるので、引用します。

リストの指す標題音楽とは

 リストの名づけた「標題音楽」は、標題(言葉の詩)を一種の序言として添えることで、音楽が表現している「詩的観念」を聴者に分かりやすく示した音楽のことだったのである。つまり、音楽の詩的観念と、言葉の詩的観念は一致するという考えが根底にある(128頁の訳注27参照)。したがってリストの場合、標題となっている詩の物語を具体的に音楽化しようとしたものではあり得ない。

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年158頁

 訳注27についても興味深い話があるので引用しておきます。

[訳注27]
 音楽と詩の独特の関係は、ジャン・パウル(1763-1825)、フリードリヒ・シュレーゲル(1772-98)、ノヴァーリス(1772-1801)らドイツ・ロマン主義の重要な美学となっている。すなわち、すべての芸術には共通する〈詩〉[Poesie]があり、その〈詩〉は、そこから言葉が詩を汲んでくるような、形象以前の根源的な存在だと考えられた。したがって、言葉による詩の〈詩〉も、音による音楽の〈詩〉も、どちらもその〈詩〉は一致すると想定されていた。こうした前提なしには、リストがなぜ自身の管弦楽作品に「交響詩」という名称を付けたか、理解し難いであろう。

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年128頁


 補足しておくと、「交響詩」もリストが創始したものです。上記の内容を踏まえると「交響詩」は「管弦楽による詩」であると解釈するのが良いでしょう。

 では絶対音楽について見ていきます。絶対音楽とは標題音楽の対峙として説明されることが多いですが、どういったものなのか確認してみます。Wikipediaでは「音楽そのものを表現しようとするような音楽をいう」とありました。詳細は語りませんが、これは19世紀後半にハンスリックが指した「絶対音楽」に近い定義です。

 彼は「音楽は内容以外に形式をもたない」と考え、無規定な感情に音楽美があるとはせず、感情と音楽的内容とを切り離した。

中略

 さらに彼は、音楽以外の芸術ジャンルと共有する「詩的」な性格や、キリスト教的性格とも、音楽の本質を切り離し、音楽の自律性を重視したのである。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年 99頁-100頁


 注意したいのが19世紀前半のドイツ・ロマン主義は、絶対音楽の理念として宗教的性質を認めていました。つまり、リストの考え方は当時のドイツ・ロマン主義者たちの絶対音楽の理念にかなり類似していることがうかがえます。(標題があるかどうかの差はあったようですが)。

 読みながら頭の中で整理するのが大変ですね。本当はもっと詳細に語りたいのですが、字数がとんでもないことになるのでこのぐらいにしておきます。

宗教と音楽
 音楽の効能には何があるでしょうか。好きな音楽を聴いたら、癒やされたという経験はありませんか。音楽は、古代ギリシアのときからその癒やしの効果というものが注目されていました(心を鎮めるという意で)。アリストテレスの『詩学』以降ではその効果をカタルシス(浄化の意)と呼ぶこともあります。

 リストは宗教音楽を多く書いた人としても有名で、宗教音楽観に関する記述も残されています。

「音楽は本質的に宗教的であり、……有限と無限というふたつの世界の交わりに仕える以上に、音楽にふさわしい役割があるでしょうか」(1865年5月20日の書簡)、「芸術は宗教と別物ではなく、真の宗教、すなわちカトリックの、教皇の、ローマの宗教の明確なる具現なのです」(1868年8月1日の書簡)。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、40頁

 リストにとって死とは、生がもつ不本意な首枷からの解放・救済であり、それを和らげるものが宗教であった。そして音楽は本質的に宗教的なものであるから、この首枷からの救済という役割を担い、人間と神との仲介となる。したがって音楽は祈りを内包し、言葉だけでは不十分なものを充填すべきである。宗教音楽は生きている人にも、死した人にも光と贖罪を与え、高めるのである。このように、音楽はおのずから宗教的性格をもっているというリストの考え方を、理解しておく必要があるだろう。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、131頁-132頁

 「エステ荘の噴水」の曲の半ばに、ヨハネ福音書より引用された「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(新共同訳)という標題があります。「エステ荘の噴水」を含め、『巡礼の年 第三年』は、晩年のリストの様式をはっきりと示していることが全体を通してうかがえます。「エステ荘の噴水」は『巡礼の年 第三年』の中では明るい曲でした。他の曲と並べて聴くと、相対的により明るく聴こえてきます。

余談

 リストの宗教音楽は決して保守的なものではありませんでした。保守的とされる教会音楽というジャンルにおいて、理解され難い前衛的な作品を出版しようとしていました。

 この曲には、この時期のリストが感じていた不安と悲しみ、諦念などが、イエスの受難とクロス・オーバーしながら、無調的な手段を駆使して表現されている。前章でも触れたように、彼にとって宗教音楽とは、生の苦しみからの解放、救済の役割を果たすべきものであった。つまり、リストにとって宗教音楽と無調音楽は表裏一体の関係にあったのである。

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年、169頁(「この曲」とは《ヴィア・クルチス》のこと)。


 そして、リストはドイツ的な理念を持っていましたが、教会旋法の導入をしています。これはフランスで提示された方法論であり、方法論としてはフランスに類似するものでした。音楽的な位置づけとしてリストは面白いところにありますね。

 

 いかがでしたでしょうか。引用したいところ満載で伝わりにくかったかもしれません。もっと詳しく書きたいこともありながら大分削ったのですが、美学的な話になるとついつい長く話したくなってしまいました。次の曲はもっと気楽に書きたいなと思います。(どうなるかわかりませんが)。

 

引用・参考文献

エヴェレット・ヘルム著『大作曲家リスト』野本由紀夫訳、音楽之友社、1996年

椎名亮輔 編著、三島郁、筒井はる香、福島睦美著『音楽を考える人のための基本文献34』アルテスパブリッシング、2017年

福田弥著『リスト 作曲家人と作品シリーズ』音楽之友社、2005年

ピティナ・ピアノ曲事典

 

youtu.be